【熟成下書き】”年をとるのが怖い”私の見方を変えた本
『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』を読んだ。
シングルファザーの著者がフランスで息子と二人で生活する様子が書かれている。10歳だった息子が18歳になるまでの記録だ。
印象的だったのは、父親である著者と息子との会話。
距離感がちょうどいい。一定の距離感を保ちながら、ちゃんと見ている。進路のことなど、困ったときに息子から話をしに来るのは、しっかりと信頼関係が育っている証拠なんだと思う。
親の離婚は子どもにどんな影響を与えるのだろう。普通に考えれば、いいことなんかない。
ところが、だ。
この本に登場する息子は父親である著者に「パパ、他人に期待してもいいんだよ。期待しないだなんて、思うからうまくいかなくなるんだ。(中略)そろそろ、パパも誰かに期待をして生きてもいいんじゃないの?」と言っている。
人間関係のストレスは他人への期待が原因だそうだ。だから多くの識者が「期待するのはやめましょう」と唱えているのだけど、正反対の説が登場した。
しかも「家族って、日々に意味を教えてくれる存在なんだと思う。(中略)僕は家族を持ちたいんだと思う。誰かのために生きてみたい」とまで。
……こんなこと、16、7歳の子が言う?
子どもが未来への希望を持てるのは、親が楽しんでいるから
幼い頃に親の離婚を経験すると、幸せになれなかった自分の欠乏感を埋めるために家族を持ちたいと考えるか、他人への期待をあきらめて家族を持たない選択をするのではないだろうか。
でも、この子はそのどちらでもない。自分を満たすためじゃなく、誰かのために生きたいから家族を持ちたいという。精神的に大人だ。
ほかにも「いろいろ課題はあるけれど、僕はこの国を支持する」とも言っている。自分が生まれ育った国への帰属意識というか、愛着を持てているところもいい。自分の国に強い不信感を持つ私からすれば、うらやましい。
本には書けないこともあったのかもしれないけど、全体を漂う空気はポジティブで、希望を感じさせてくれる。
子は親の鏡。息子の成長には基本的にポジティブな著者の影響も大きいと思う。
私が辻仁成さんの小説をはじめて読んだのは中学生のときだった。『冷静と情熱のあいだ』と『海峡の光』を読んだ。話の中身は忘れたけど。
あれから20年あまり。ひさぶりに辻仁成さんの本を手にとったら、彼は恋愛小説家からマルチプレイヤーに変身していた。
Wikipediaで調べてみると、3度の結婚・離婚を経験していることがわかった。元々ミュージシャンだったこともあってときどき音楽活動もしているし、プロ顔負けの料理を作って、料理本まで出していた。You Tubeもやっているらしい。60歳を過ぎても、どんどん新しいことに挑戦している。人生を楽しんでいる感がハンパない。
そう考えると、著者の息子は著者あってこそだなという気がしてくる。もちろん、親の影響がすべではない。学校に行けば先生や友達にも会うし、フランスの教育システムや社会の影響もあるだろう。
でも、親との関係がダメダメだったら、誰かのために生きるとか、家族を持ちたいとか、自分の国を支持するみたいな未来に希望を持つ若者にはならなかったはずだ。
情報そのものにはほとんど価値がない
そういえば以前、ライターのコミュニティにいたとき、元新聞記者の先輩ライター(当時60歳超え)が私の質問に惜しみなく答えてくれたことがあった。
あのとき、なぜこんなに細かいことまで教えてくれるんだろう?競争相手が増えるとよくないんじゃないか?と思っていた。
純粋にその人が親切だったのもあるかもしれない。後進の力になりたいという気持ちもあったろう。でも本音を言えば、ぽっと出の新人なんか競争相手ですらないってこともあったと思う。
なぜなら、文章には書き手のそのときの状態が表れるから。
人生は”今日”の積み重ねだ。一日で何かが変わることはないけれど、今日の過ごし方が10年後、20年後を大きく変える。
毎日を今日の延長線上で生きている人と、年齢に関係なくチャレンジを続ける人とでは、経験の数も質も、物事に対する姿勢も大きく違う。
それは、自分の人生に対する姿勢といっていいのかもしれない。
表面をなぞっただけの無機質な文章から、書き手のありようを感じとることはできない。だから、ある程度のトレーニングを経た人なら誰が書いても同じということになる。
でも、書き手に裁量がある文章では違う。たとえそれが商業的なものであっても、テーマの選び方、文章の組み立て方、言葉の選び方にその人がにじみ出るものだからだ。
つまり、情報そのものにほとんど価値はないということでもある。知っていることとできることの間には大きなギャップがあるし、経験しなければ本当のところはわからない。他人の知識や経験はどこまでいっても他人のものだ。
年を重ねたからこそ、到達できる世界
話を戻そう。エッセイで描くのはリアルだから遠く離れた見知らぬ誰かの話であっても、いまを生きる人に響く。
エッセイはノンフィクションだが、辻仁成さんの本は現実をそのまま写し取ったものでもない。読んだ人の気持ちを温かくしてくれる。
フィクションも本当にあったことを題材にしているケースは多い。ただあまりにもデフォルメが過ぎると、現実から離れ自分と関係あるものとは思えなくなっていく。
「あーおもしろかった。ちゃんちゃん。」それでいいときもあるのかもしれない。けど、せっかくなら心に残るものの方がいいよね、と私は思ってしまう。
年齢を重ねることに対して、私は強烈なネガティブイメージを持っていた。年を取るとできないことが増えていく。それは誰からも必要とされなくなることと同じだと思っていた。
でも、辻仁成さんの活動や、息子との暮らしを描いたこの本を読んで、年をとる=経験を重ねるからこそできることもあるんだろう、とほんの少しポジティブな見方ができるようになった。
文章は読んだ人の心を動かしたり、示唆を与えてくれたりする。ときには、世界の見方を変えることもある。だがそれは、身に起きたことを血肉にしてきた人の技といってもいいかもしれない。一定の年齢を重ね、人生を楽しんでいる書き手だからこそ到達できる世界だ。
だから、書くことは味わい深く、おもしろい。
この本を読んで、親としてどうありたいかとか、これからの人生をどう生きていくかとかいろいろ考えました。うちの子はまだ小学校低学年だけど、近い将来、こんな気持ちになるのかもしれない、と思いながら。
本当によかったので、ぜひ読んでみてください!
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