日本で子だくさんは無理ゲーだった。7人の母に聞くフィリピンに教育移住した話

フィリピンに教育移住した7人の母に、なぜ教育移住したの?日本とフィリピンは何が違うの?一度、日本に帰って来て再びフィリピンに戻ったのは?など、あれこれ聞きました。今週は長文です。お時間あるときにどうぞ。
のりー 2023.07.16
誰でも

コロナも4年目を迎え、だいぶ落ち着いてきた感がある。

この3年はいろいろあった。

子どものことに関しては、コロナ1年目に長男の小学校入学を迎えた。そして公立小学校に、もっと言えば日本の教育行政に不信感を持つこととなる。

「日本の」というのは大げさで、地域性もあるのかもしれない。

いや。公立だからこそ、地域によって教育の質や教育環境が大きく違うのは、大問題ではないか。

そんなことを思っているうちに、教育移住の可能性を模索してみたいと考えるようになった。

でも、いきなり海外なんて行けないよ。

とも思う。だから、教育移住するとどうなるのか。まずは実際にやってみた方にお話を聞いてみようと思った。

うかがったのは、現在7人の子を持つりんごさん。“教育移住”のために6年間フィリピンで暮らし、2020年に一時帰国したが、2022年に再びフィリピンに渡った。

仕事で何年かを海外で過ごすことはあっても、子どもの教育のために海外移住するケースは、まだまだめずらしいのではないだろうか。

彼女が教育移住しようと思った理由、フィリピンと日本の文化の違い、そして6年住んで分かったことについて聞いた。

【目次】

  • 都市封鎖で日本に帰国

  • 痛みは我慢しなくていいと気づいた

  • 移住前にあった海外への憧れ

  • 飛び込んでからの方が情報は集まる

  • 「できていないこと」に集中するメリット・デメリット

  • フィリピンのアウトソーシング事情

  • なぜ英語を学ぶべきなのか

  • 「ここではないどこか」は理想郷

  • やっぱり日本で子だくさんは無理ゲーだった

  • 大人になってからの友達づくりは難しい

  • 外から見える、日本の公教育のよさ

  • 子だくさんの楽しみ

※「書く+αで生きていく。ライターの歩き方」は、横浜出身・天草在住の筆者が地方に移住し未経験からライター業などの複業を営みながら、人生100年時代を楽しく、自分らしく生きるために必要な考え方やスキルアップのヒントなどをお届けしています。

🍎りんごさん

大阪出身。7人の母。2014年に夫と子ども2人とフィリピンのマニラに移住。2020年コロナで一時帰国し、2022年に再度フィリピンに渡った。

都市封鎖で日本に帰国

−(2021年当時)今は一時帰国中とのことですが、いつ日本に戻ってきたのですか?

2020年7月に戻ってきました。フィリピンのマニラに住んでいたのですが、コロナで都市封鎖になりました。マニラにいるのは危険だと思って、夫と子ども3人は先に帰国。私は2人の子どもと一度、フィリピンの地方に行ったんですね。

すぐに都市封鎖が解消されて、夫や子どもたちと合流できると思っていたのですが、だんだんフィリピンの国内線も飛ばなくなりました。3カ月の間、フィリピンの地方から出られませんでした。日本に帰るしかないとなって、6人目を妊娠中でしたが、日本に帰って来ました。

−それは大変でしたね。子ども3人連れて、国際線に乗るなんて私には想像できません。しかも身重で。

日本からフィリピンは飛行機で4時間くらいです。そんなに長くないですよ。フィリピンに6年も住んでいると、それなりに日本と行き来するので子どもたちも慣れていますし。

出産の痛みは我慢しなくていいと気づいた

−6人目のお子さんは日本で出産したとのことですが、他のお子さんたちはどこで出産したのですか?

上の2人は日本で生んで、フィリピンに来ました。3人目も日本で里帰り出産しましたが、4人目と5人目はマニラで生みました。

−海外での出産は大変ではありませんでしたか?

外国人が安心できる病院を選んだので、快適に出産できました。フィリピンでは無痛分娩が普通なんですよ。現地の人も「日本の痛いの、信じられない」と言っているくらいで。

1人目の出産は本当に大変で、もう生みたくないと思っていました。でも、1年経つと気が変わりますよね。子どもには兄弟がいた方がいいなと思うと、もう1人いた方がいいなと思って。子どもとの生活は大変だけど、日々気づきもあって、たくさん欲しいなと思うようになりました。6人目は日本に帰って来てから、無痛分娩で出産しました。

−日本ではまだまだ無痛分娩は一般的ではないと思います。だいぶフィリピン流になっていますね。

考え方は人それぞれですが、本当は嫌なのに「痛い思いをしなくてはいけない」と思い込んでいるとしたら、そうじゃないよって私は思いますね。

移住前にあった海外への憧れ

−フィリピンに移住しようと思ったきっかけはなんだったのですか?

とにかく海外に行きたかったんです。日本にも英語教育に力を入れている幼稚園やインターナショナルスクールはありますが、私達がフィリピンに移住した当時は、大阪にはほとんどインターナショナルスクールはありませんでした。

せっかく小さいうちに教育費をかけでも、小学校以降のことが地元では想像できなかったので、もったいないと思いました。なので、具体的に考えてみることにしたんです。

−どうしてそんなに海外に行きたかったんでしょうか?

海外生活がキラキラして見えたというのはあります。でも、子どもが生まれて毎日子育てに追われていると「やりたいけど、できない」ことがどんどん溜まっていく感じがありました。ふとしたときに、本当にこのままでいいのか、現状維持していることに耐えられないと思ったんです。

夫もやってみたいタイプの人なので、すんなり決まりました。

飛び込んでからの方が情報は集まる

−知らない場所に移住するとなったとき、多くの人が心配するのが、仕事、家、そして環境になじめるかではないかと思います。そうしたものへの不安はありませんでしたか?

夫はパソコンがあればできる仕事をしているので、幸いなことにうちは比較的、移住しやすい状況にあったと思います。

フィリピンに行ってから1カ月は、ゲストハウスのようなところに住んでいました。その間、街を散歩しながら「こんなところもあるんだ」と見たり。あとはネットで情報収集ですね。

家探しは現地に行ってからの方が、情報は得やすかったですか?

仲介業者を使う方法もあるようですが、少し調べてみて、自分たちでも情報を集められそうだなと思いました。

−言葉の問題はありませんでしたか?

言葉の問題はありましたね。フィリピンの公用語は英語とタガログ語です。それまで私は留学したこともなく、オンライン英会話を利用していたくらいで。でも、それ以上に行きたかったんです。

英会話を習うくらいでは、現地のコミュニケーションには十分ではないですよね。だから、紙に書いてやりとりしたり、話せると思い込んで話したり。どうしても話さなくてはならない環境で、つたなくても嫌でも、コミュニケーションしていると、だんだん伝わるようになります。

―アジアにもいろんな国がありますがどうしてフィリピンだったのでしょうか?

ビザの取りやすさですね。たとえば、アジアではマレーシアも英語が公用語の国ですが、外国人が長期滞在するには資産をどれくらい持っているかなど金銭的な条件があります。フィリピンはビザの取得が比較的簡単でした。どちらかといえば、消去法で選びました。

「できていないこと」に集中するメリット・デメリット

―(2021年当時)日本に一時帰国中とのことですが、コロナが落ち着いたらどうしますか?

今は日本に帰ってこられてよかったと思っています。フィリピンに行く前は、子どもに英語の環境を作りたいという思いが先にありましたが、6年も現地にいると今度は日本語が心配になってきました。

でも、日本にずっといようとも思っていません。今になって思えば、生活はフィリピンの方が気楽でした。メイドやベビーシッターを雇ったりできましたから。

−フィリピンのよさはどんなときに感じますか?

フィリピン人は明るくて、子どもに対してやさしいんです。子連れの人を見ると声を掛けてくれます。階段のあるところでベビーカーを使っているようなときなど。日本のように知らんぷりで通り過ぎることは、まずありません。

フィリピンに住んでみて改めて思ったのは、日本人は真面目で「できていない」ことにフォーカスする文化だということです。日本に帰ってきて半年経ったので、もう慣れましたが。

一方、フィリピンの人はいいところだけを見ます。基本的に悪いことは言わないんです。たまに「ほんま??」と思うこともありますが、それで私は救われました。

フィリピンの人が自分が大好きなので、人にもやさしいんです。学校の先生がそういう態度なのはいいと思いましたね。

−反対に、日本にあってフィリピンにないものってなんでしょう?

フィリピンでは、時間を守らない、約束を守らない人が多いです。日本で当たり前とされている「列に順番を守って並ぶ」「時間を守る」ということも、子どもたちは知らずに育っていく可能性があるんだな、とフィリピンに住んでから思いました。日本人の「できていないこと」にフォーカスする面にもいいところがあって、それによってよくなっていく部分はありますよね。

文化面ではなく気候の面では、日本には四季がありますが、フィリピンはずっと暑いです。四季を感じながら生活する、というのは日本のよさだと思います。

フィリピンのアウトソーシング事情

−メイドやベビーシッターを雇っていたということですが、経済格差が大きいということですか?

そうですね。フィリピンは日本と比べて、学歴格差も大きいと感じます。学歴のない人が就ける仕事が限られていることもあって、日本人の感覚からするとメイドやベビーシッターを安く雇うことができます。うちも住み込みで3人雇っていました。

−日本人に比べたら安いとはいえ、かなりお金がかかるのでは?

1人1カ月1万ペソでした。今はレートが変わっているかもしれませんが、日本円にすると2万円5千円くらいです。

フィリピンのメイドは、1つのタスクしかできない人も多いんです。子育て係、料理係、洗濯係みたいな感じなので、家事をやってもらおうとしたら、何人か雇うことになります。

私には子どもが6人(2021年当時)いるし、フィリピンは日本と違って便利な国ではありません。治安が悪い場所もあるので、子どもを1人にさせておくわけにはいかないんです。送り迎えも必要だったので人手が必要、というのはありますね。

−日本では家事をアウトソーシングすることに対して批判的な意見もありますよね。母親が一人でやらなくてはならない、という空気感というか。フィリピンに行って意識の変化はありましたか?

フィリピンではお母さんが一人で何から何までしなくてはならない、ということはありません。大家族も多いので家のことはシェアできますし、核家族ならメイドがいます。

私も「日本にいたときは、周りがこれだけやってるんだから」というプレッシャーを感じていました。受験はその典型ですよね。でも、フィリピンに行ったら、そのしがらみがなくなりました。新しい価値観が自分に入って「こういうこともある」と感じられたのがよかったです。

なぜ英語を学ぶべきなのか

−そもそも論になってしまうのですが、英語を勉強した方がよいのはどうしてでしょうか? お子さんにはどのような大人になってもらいたいと思いますか?

英語ができると選択肢が増えますよね。もし日本が合わなくても、自分に合う場所を選ぶことができます。

子どもには、どこでも生きていけるようになって欲しいと思っています。

ただ、私は日本の価値観も大事だと思っています。私たちは日本人だからです。母国語は日本語ですし、言葉の裏側には言葉にできていない文化があると思うんですね。フィリピンでは、私達は言葉そのものもは分かっても、文化を教えることはできません。

「ここではないどこか」は理想郷

−「海外に行けば何か変わるかもしれない」そう思っている人はたくさんいると思います。6年間フィリピンに住んでみて、いかがですか?

私もフィリピンに行ったばかりのときは、いいことしかないと思っていました。毎日が新鮮で。そして実際、いいこともたくさんありました。でも、同時にだんだんいろんなものが見えるようになっていきました。

それで思ったのが、長く住んでいると、どこに行っても同じなのではということです。結局、自分がどう感じるかという話なんですよね。

−最後に、ご自身について。これからどうしていきたいかをお聞かせください。

今は主婦をしています。働きたい気持ちもあるけど、生活のバランスを崩してまで働きたいとは思いません。子どもが6人(2021年当時)いるこの状況と、仕事を両立できるほど私は器用ではないからです。子どもと一緒にいられる時間は限られているので、子どもの成長見たいという気持ちがあります。

もう少し成長して手が離れてきたら、できることがあればやるという感じですね。

***

最初にお話をうかがったのは2021年。実は2022年9月に再びお話する機会があった。

きっかけはりんごさんの「フィリピンに帰ることにした」というツイート。日本に帰ってきてよかった、と話していたのになぜ帰ることにしたのだろう?

***

日本で子だくさんは無理ゲーだった

ーずばり、フィリピンに帰ることにしたのは何がきっかけでしたか?

子育てが大変すぎて、手を借りたいと思うようになったからです。子どもが6人いると、学校などの懇談会も6回行く必要がありますからね。加えて習い事の送迎もありますし、何かを感じる気持ちの余裕がまったくありませんでした。本当にどうやって日々を過ごしていたのか。日本にいたときは、限られた時間の中でどう過ごすかがテーマだったと思います。

ーTwitterからはそんなに追い詰められているとは感じませんでした。

SNSではできるだけ、悪いことは書かないようにしています。

ー実家の近くに住んでいたんですよね?

はい。最初は大阪の実家に居候していたのですが、この人数ですからずっと居候するわけにも行かなくて。実家の近くに家を借りて、1年くらいは実家のサポートを受けることができていたのですが、親が体調を崩してからは手を借りることもできなくなりました。

大人になってからの友達づくりは難しい

ー知人・友人などは?

子どもが6人いる割には、あまり友達がいる方ではないんです。私の性格もあるのかもしれませんが、頑張らないと友達ができなくて。

出産前は学校や会社など所属しているところの人と付き合うことが多かったけれど、子どもが生まれると変わりますよね。今思えば子どもが1人だったときの方が「友達を作らなくちゃ」と頑張っていたように思います。

何が違うのかはわかりませんが、日本とフィリピンとでは人との距離が違うと思っていて。

フィリピンではご飯を食べに行くと店員が子どもと遊んでくれることもしょっちゅうなんです。人が余っていることもあるのかもしれませんが、フレンドリーなんですね。日本人であってもフィリピンに滞在している人は、共通の目的があるせいか仲良くなりやすいと感じていました。

外から見える、日本の公教育のよさ

ーもともとお子さんの教育のためにフィリピンに移住しましたよね。日本にいる間、お子さんの教育はどうしていましたか?

公立の学校に通っていました。公立学校に通っていたのは、送迎の必要がなく子どもが自分で通学できることがひとつ。それから、日本がどういうところなのかを知ってもらうことがありました。

ー日本の教育環境について、どう思いますか?

日本も悪くないなと感じました。学校に行けば、ある程度までは誰もが基礎学力を身に着けられるからです。長男は日本に帰ってきた当初は日本語の読み書きが遅れていましたが、日本で学校に行き始めたら不自由しないほどに力がつきました。基礎学力の定着という意味では、日本のカリキュラムは優れていると思いますよ。

特に不満は感じていませんでしたが、それはずっと日本にいるつもりがないこともあったかもしれません。フィリピンに戻ってきたのは、子どもの教育よりも、私自身が精神的に手一杯になったからです。

子どもに手がかかるうちは、人の助けを借りやすい場所がいいなと。子どもの希望やライフステージに合わせて行き来できればいいなと思っています。

子だくさんの楽しみ

ー何がりんごさんを6人(2023年現在は7人)の母になろうと思わせたのでしょう?

フィリピンに住んで、人の手を借りられる環境にいたことが大きいですね。夫も子だくさんな家族が好きなので、メイドやベビーシッターなどの力を借りられる状況にあるなら、子どもがたくさんいた方が楽しいと思ったんですよね。

子どもは一人ひとり違っていて、ふとした瞬間に、たとえば絵を描いても持ち帰ったときなどに、子どもの成長を感じます。

「私にはこんな絵は描けない。こんな絵が描けるなんて、才能があるんじゃないか」とか。そういう瞬間に出会えるのがおもしろいんです。

ー子どもがいると、どうしても思い通りに行くことばかりではないですよね。子育て期間が長くなると、イライラする時間も長くなりそうです。

たしかに、子どもがたくさんいるとわずらわしいと感じることも多いです。でも、それ以上に楽しいことが多いかな。

ーフィリピン以外の国に行く選択肢はありましたか?

最初にフィリピンに来たときは子どもが2人でしたが、今は6人(2023年現在は7人)いるので、なじみのある国がいいなと思ってフィリピンに戻ってきました。

暮らしを楽しむ秘訣は、人の手を借りられる環境にいくこと

ー日本とフィリピンを行き来する自分を、どのようにとらえていますか?

飽きっぽいところがあると感じています。私は一つの場所にいて、ずっと同じことをするのには向いていません。ずっと家にいることもできないので、人の手を借りられる環境がいいんですよね。

いろんなところに住んでみて、どんな人がいるのか、どんな景色が見えるのか、いろいろ見てみたいです。私の子育てはまだ20年近くありますが。

ーサポートを受けやすいフィリピンに戻って、これからやりたいことはありますか?

英語の勉強をしたいです。下の子どもがもう少し大きくなって落ち着いたら、いろんな人としゃべりたいです。自分の興味の範囲だけでなく、一見、ムダに思えるようなこともしてみたいですね。そういうところにこそ、新たな気づきがあるのでは、と思っています。

***

私には2人の子どもがいる。私は仕事よりも、子どもとの時間を大切にしたいと考えるタイプではない。

一人でいることも大好きで、集中すると周りが見えなくなってしまう。

だからこそ、自分とは違うタイプのりんごさんのお話を聞いてみたいと思った。

りんごさんの「子どもと一緒にいられる時間は限られている」というお話は、そのとおり。限られていると思うからこそ、優先順位の付け方や日々の過ごし方は変わってくる。

一方、子どもがいなければもっと自由になれるのか、というとそうでもないと思う。私の場合、子どもがいるから頑張れるというのは間違いなくある。「次の休みは、家族で●●に行きたいから頑張ろう」と思えるからだ。

りんごさんの、海外か日本かという二者択一ではなく、そのときの状況に合わせて柔軟に行動するという考え方はとてもステキだと感じた。

それを実行に移すのは、決して簡単な話ではない。

なにしろ、いろんなものを調えていかなくてはならない。パソコン1台あればどこでも仕事ができる相手をご主人に選んだのも、その一つに違いない。

とはいえ、気持ちの問題は大きい。

「環境を選ぶ」ことはできる。

やろうと思うことから、はじまる。

***

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